【考察】相生山緑地のヒメボタル(五)
誰が総括的にみているか
見物(≒観察)人は多い。個人的趣味(一部は職業的)の撮影者も急増。けれども、ヒメボタルの成育史・生態系までを学んでから緑地に入る人は少ない。
「今年もそろそろシーズンです」「××地点で見られます」「現地ではボランティアさんがいる」といった無責任なweb情報頼りで、地理や持ち物についての予備知識さえ無しでやって来て、森の中で迷子になりそうになったり、明るい電灯を振り回したりする人のいかに多いことか。

大きな機材を持ち込み、散策路の真ん中にどっかと陣取り、注意されてもなお他の人のことなど意にも介さないカメラマン。中には意図的か無知のせいか、樹林内のヒメボタルの生殖地まで入り込む人も後を絶ちません。「人が少なくなった深夜、マナー違反が横行する」報告も届いています。
緑地の周辺道路には違法駐車が目立ちます。週末にはパトカーも出動しました。

こうした傾向を抑制する手だてはとられていません。というより、誰がそれを為すべきかが定まっていない。その問題意識さえ持たれていないのが現状ではないでしょうか。
「ホタルを見に(撮りに)来る」人はホタルのことだけ、昼の森には興味ナシ。「森が荒れるから森づくり」活動は木や竹を伐るけれど、足もとに生きるホタルのいのちには無関心。ましてや、「名古屋という大都会の中の相生山」、緑地内や周辺に暮らす人びとへの想像力、今だけでなく未来を見通そうとする発想、そうした大局観には誰もが未だ未だ縁遠い。

誰が全体として「相生山を大事にすること」について視ているのか?
誰もみていない、それが現状です。
名古屋市の「緑地計画」について
行政の目的意識は「市民サービス」が優先だからでしょうか。緑地の「基本計画構想」も、利活用に偏らざるを得ないように映ります。

緑地の自然環境の把握、生態系の理解、維持管理する手法についての考慮が極めて弱いように思われます。本当は、そこを大事にすることが、回り回って市民のいのちと暮らしに返ってくるにもかかわらず。(つづく)
by Oak.



見物(≒観察)人は多い。個人的趣味(一部は職業的)の撮影者も急増。けれども、ヒメボタルの成育史・生態系までを学んでから緑地に入る人は少ない。
「今年もそろそろシーズンです」「××地点で見られます」「現地ではボランティアさんがいる」といった無責任なweb情報頼りで、地理や持ち物についての予備知識さえ無しでやって来て、森の中で迷子になりそうになったり、明るい電灯を振り回したりする人のいかに多いことか。


大きな機材を持ち込み、散策路の真ん中にどっかと陣取り、注意されてもなお他の人のことなど意にも介さないカメラマン。中には意図的か無知のせいか、樹林内のヒメボタルの生殖地まで入り込む人も後を絶ちません。「人が少なくなった深夜、マナー違反が横行する」報告も届いています。
緑地の周辺道路には違法駐車が目立ちます。週末にはパトカーも出動しました。


こうした傾向を抑制する手だてはとられていません。というより、誰がそれを為すべきかが定まっていない。その問題意識さえ持たれていないのが現状ではないでしょうか。
「ホタルを見に(撮りに)来る」人はホタルのことだけ、昼の森には興味ナシ。「森が荒れるから森づくり」活動は木や竹を伐るけれど、足もとに生きるホタルのいのちには無関心。ましてや、「名古屋という大都会の中の相生山」、緑地内や周辺に暮らす人びとへの想像力、今だけでなく未来を見通そうとする発想、そうした大局観には誰もが未だ未だ縁遠い。


誰が全体として「相生山を大事にすること」について視ているのか?
誰もみていない、それが現状です。
名古屋市の「緑地計画」について
行政の目的意識は「市民サービス」が優先だからでしょうか。緑地の「基本計画構想」も、利活用に偏らざるを得ないように映ります。


緑地の自然環境の把握、生態系の理解、維持管理する手法についての考慮が極めて弱いように思われます。本当は、そこを大事にすることが、回り回って市民のいのちと暮らしに返ってくるにもかかわらず。(つづく)
by Oak.




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