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温故知新

 相生山の昔を見つけようと
 天白区制40周年記念写真展
 「むかし、いま、天白」
 に行ってきました

 展示されていたパネルから 相生山の少し昔が分かりました
 一部を紹介します
野並南よりIMG_7604 (2) (800x622)
 野並交差点 西南方面から相生山を望む  1957(昭和32)年

野並西よりIMG_7603 (2) (800x563)
  説明書き
 上2枚の写真 後方の丘陵 一番奥が相生山
 高木層(樹高10m以上)に達していると思われる マツ(松)林
 それ以外は低木か? 
 現在のような コナラ・アベマキの雑木林は発達していません 

相生山IMG_7608 (2) (800x659)
 「相生山緑地」の内部の写真   1964(昭和39)年
 説明には どこからどっちを撮ったか不明 とありました
 この辺りでは 2~3m以下の低木しか生育していないように見えます
 畑らしい耕作地も認められます

緑地北部IMG_7613 (2) (800x698)
 緑地北部の航空写真   1955(昭和30)年
 斜めに太い道路は 野並から島田へ抜ける県道59号線
 その東は丘陵地(森林と一部農耕地か?) その西も田畑がほとんど
 中央から右下へ 緑地内を菅田から山根へ農道
 緑地の中に耕作地が 今よりはあったのが分かります

 人が自然を どのように使ってきたのか
 森の様子が どう変わって来たのか
 振り返ってみて これからをじっくり考えたいですね

        by  Oak.
      
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theme : 名古屋・愛知
genre : 地域情報

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comment

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見知らぬところのこと

こちらこそいろいろ勉強させてもらっています。

丘陵地帯というところは似ていますが、植生に少しちがいがあるところなど興味深い点も多々あります。

専門家のように日本中を見て回るわけにはいきませんので、とても参考になります。


相生山を地図で見ると絶海の孤島のようになっている緑地なのですね。

外から生き物たちがやってきにくいところにも関わらず、あれだけの自然が残っているのは、ほんとうに貴重だと思います。

Re: 歴史と地理

ノートさま
 コメントありがとうございます

 この辺りの名古屋東部丘陵地帯は 大昔の古木曽川の流域であったとされ
 粘土層・礫層で 植生の遷移はゆっくりしたものだったと推測されます
 鎌倉期の窯跡以降は 薪炭材の切り出しは少なかった模様です  
 大規模な人工林はありませんので 二次林の自然が比較的残っています
 昭和30年代以降の住宅開発で ほとんどの森林は地形が替わるほど破壊され
 水みちも断たれながら 相生山緑地の一帯だけは「都市計画緑地指定」で
 かろうじて残されましたが そこへ道路計画・工事開始という経緯でした


 スケールの大きな 自然とヒトの歴史を 見返しながら
 未来につなげる方向を みなさんと探っていきたいと思っているところです

 お気づきのこと また ご指摘ください
 「いきもの は おもしろい」http://ikimono8000.blog36.fc2.com/ 
 楽しみにしています よろしくお願いします

歴史と地理

名古屋も同じなんですね。

日本の都市部近郊の山や森は、江戸後期から戦前にかけて結構伐採され、そうでなければ針葉樹が植栽されていましたから、私たちが「昔からの自然」と思っている姿も人為的に作られたものだったりしますね。

戦後70年でもさかのぼってみると意外な発見があったり。

歴史や地理も大切だと思います。
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プロフィール

森の妖精  アイ

Author:森の妖精 アイ
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