温故知新
相生山の昔を見つけようと
天白区制40周年記念写真展
「むかし、いま、天白」 に行ってきました
展示されていたパネルから 相生山の少し昔が分かりました
一部を紹介します

野並交差点 西南方面から相生山を望む 1957(昭和32)年


上2枚の写真 後方の丘陵 一番奥が相生山
高木層(樹高10m以上)に達していると思われる マツ(松)林
それ以外は低木か?
現在のような コナラ・アベマキの雑木林は発達していません

「相生山緑地」の内部の写真 1964(昭和39)年
説明には どこからどっちを撮ったか不明 とありました
この辺りでは 2~3m以下の低木しか生育していないように見えます
畑らしい耕作地も認められます

緑地北部の航空写真 1955(昭和30)年
斜めに太い道路は 野並から島田へ抜ける県道59号線
その東は丘陵地(森林と一部農耕地か?) その西も田畑がほとんど
中央から右下へ 緑地内を菅田から山根へ農道
緑地の中に耕作地が 今よりはあったのが分かります
人が自然を どのように使ってきたのか
森の様子が どう変わって来たのか
振り返ってみて これからをじっくり考えたいですね
by Oak.
天白区制40周年記念写真展
「むかし、いま、天白」 に行ってきました
展示されていたパネルから 相生山の少し昔が分かりました
一部を紹介します

野並交差点 西南方面から相生山を望む 1957(昭和32)年


上2枚の写真 後方の丘陵 一番奥が相生山
高木層(樹高10m以上)に達していると思われる マツ(松)林
それ以外は低木か?
現在のような コナラ・アベマキの雑木林は発達していません

「相生山緑地」の内部の写真 1964(昭和39)年
説明には どこからどっちを撮ったか不明 とありました
この辺りでは 2~3m以下の低木しか生育していないように見えます
畑らしい耕作地も認められます

緑地北部の航空写真 1955(昭和30)年
斜めに太い道路は 野並から島田へ抜ける県道59号線
その東は丘陵地(森林と一部農耕地か?) その西も田畑がほとんど
中央から右下へ 緑地内を菅田から山根へ農道
緑地の中に耕作地が 今よりはあったのが分かります
人が自然を どのように使ってきたのか
森の様子が どう変わって来たのか
振り返ってみて これからをじっくり考えたいですね
by Oak.

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