松浦武四郎
幕末~維新期の冒険家で
「北海道の名づけ親」と言われている 松浦武四郎
今年は生誕200年 「北カイ道」命名案の上申は150年前の7月17日

三重県松阪市(旧一志郡)にある 彼の生家と記念館を訪ねました

アイヌ民族の中に入り 彼らの協力を得 共生しようとした先駆者
ちょうど アイヌの人びとの暮らしぶりを伝える絵画や書物の展示期間
以前から懇意の学芸員さんが 特別に案内説明してくださいました

松陰や利通など「志士」と交わる一方 幕府の依頼も受けて蝦夷地を探査
明治政府に厚遇登用されながらも アイヌ民族への差別収奪に反発し辞職
全国を旅した実際から学んだ 多様でワイドな価値観の持ち主だったようです
小野江の渡し近く
伊勢街道に面した実家
70歳過ぎても大台ケ原や富士山登頂などという「生涯探検家」だったのに
兄が継いだ生家には行かず 本家にのみ拠ったというのは
もしかしたら兄嫁さんが苦手だったか・・・などと勝手に想像
未だ未だ「知る人ぞ知る」埋もれた偉人ではありますが
そのうちTVドラマ化されるらしいので 今からそろそろ認識を
松浦武四郎については こちら
by ai
「北海道の名づけ親」と言われている 松浦武四郎
今年は生誕200年 「北カイ道」命名案の上申は150年前の7月17日

三重県松阪市(旧一志郡)にある 彼の生家と記念館を訪ねました

アイヌ民族の中に入り 彼らの協力を得 共生しようとした先駆者
ちょうど アイヌの人びとの暮らしぶりを伝える絵画や書物の展示期間
以前から懇意の学芸員さんが 特別に案内説明してくださいました


松陰や利通など「志士」と交わる一方 幕府の依頼も受けて蝦夷地を探査
明治政府に厚遇登用されながらも アイヌ民族への差別収奪に反発し辞職
全国を旅した実際から学んだ 多様でワイドな価値観の持ち主だったようです
小野江の渡し近く

70歳過ぎても大台ケ原や富士山登頂などという「生涯探検家」だったのに
兄が継いだ生家には行かず 本家にのみ拠ったというのは
もしかしたら兄嫁さんが苦手だったか・・・などと勝手に想像
未だ未だ「知る人ぞ知る」埋もれた偉人ではありますが
そのうちTVドラマ化されるらしいので 今からそろそろ認識を
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