先日のブログ記事「自分の庭ではないのだから」
こちら を紹介した
Facebookウオール
こちら に 投稿された意見(ママ)
「岐阜大学の林業の教授が指導したものです。生態系の保全を中心に置くのではなく、社会活動を中心に置いた庭園づくりと考えれば、言っていることの意味もわかる。価値観の多様性です。」
それへの反論(ママ)
「何でもかんでも「価値観の多様性」で片付けてはならないと思います。「自然を放置すれば荒れて悪くなるので人が手を入れなくてはならない」という彼の主張は科学的ではないでしょう。個人の好みを科学とすり替える、それを都合よく拡散する行政と一体の、この地域独特の「保全活動」だと見ています。」相生山では 自然の遷移に任された雑木林の散策路を歩いていると
いきなり「森づくり」によって伐採され 放置された
「自然の森」に出くわすことがあります

どちらを「良い」と感じるかは 個々人の好み=価値観の違いだとしても
科学的な判断は別に定めることが必要と考えます
たとえば 自然とはどういうものか
それは人が感じる「良い―悪い」「好き―嫌い」以前の問題です
「価値観の多様性」で片づけてはならない と思うのです
きちんとした調査や検討や ときには真摯な意見交換の後に確定させる基準を!
最近「多様性」で 逃れる 隠す 追求しないことが多過ぎませんか?
それに乗じて 言いたい放題やりたい放題
未来のことは知ったことか「エネルギー不足なら原発で」
他国が攻めてくるかもしれないから「軍備拡大」
(犯罪容疑未確定の)政治家を「国葬で追悼」
どれもこれも 価値観の多様性で済ませますか?
そんなことでは 私たちの社会の倫理は 正義は どこにある?
おっと 話が少しズレました
by Oak.



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