新型コロナウイルスについての事象は、いろいろなことを考えさせてくれます。マスメディアの報道や論評やネット情報などに惑わされず、それらに加えて自身の経験と知識と知恵を総動員して、ものごとの本質に迫り、悔いのない対応を心がけたいと願います。
このブログでも、いくつかの思いを載せてきました。 たとえば、
こちら① こちら② こちら③ こちら④ などです。
昨日の中日新聞2面「視座」には、内山節さんのエッセイがありました。(全文を最後に貼り付けておきます)
「人間は自然の許容力の範囲内で生きなければならない」まず、この主張に同感するものです。
ですから、結語

から想わせる、さまざま大胆な試みの必要性と実践を求めたいと思います。
感染による死亡者数が日々刻々と報じられ続けています。けれども、これほど騒がれずにいるものの、世界で戦争によってどれだけの人が殺されていますか。貧困、飢餓などによる死者は?交通事故では?精神的に窮し自死を選ばざるを得なかった人はどうでしょう。
ウイルスは自然に発生したものでしょう。現代社会において、人が自らを抑制することによって避けられる死は、このウイルスに因るものよりもっと多いはずです。なのに、そのことは放置し続け、なぜ「ウイルスとの戦い」に駆り立てるのでしょう。

文中「気味悪さ」と表現された、支配層の、また迎合・誘導される風潮の「怖ろしさ」を感じます。
「自然が好き」と多くの人が認めます。けれど、私たちにとって「不都合な自然」については、どう対処しますか。

コロナウイルスの問題は、私たちに問うています。「自粛」して、引きこもって嵐が去るのを待てばいいのか。それでも働かねばならない人びと、その労働によって社会全体が支えられていることについてはどう考えるのか。

「コロナ禍」と言われている事態が、いつ終息するのかは誰にもわかりません。でも、そのときまで「生き延びた」人や国は、本当に生きたのか、未来に向かって生き続けていけるのか、決着がついていくように思われます。
by Oak.

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