相生山緑地の道路と公園構想について、私たちは「道路も大規模公園も要らない」と考えています。けれども「道路建設は進めるべき」という意見もあります。行政は市長の判断に沿って「道路計画は廃止、地元の防災や市民に活用される緑地公園を」としていますが、その正当性を積極的に説明して理解を得るように努めているようには見えません。参照:
こちら
先日、私たちとは違う意見の方と話す機会がありました。「道路建設を求める」理由は大きく2つのようでした。
【その1】8割、ここまでつくってきたものをやめるのはもったいない。税金の無駄ムダづかい。【その2】住宅地への通過車両の入り込みによる危険回避。
私たちからの反論があります。①予算の8割支出のなかには土地買収費も含まれていて、道路完成度は6割程度。これから道路をつくり維持するなら、いっそうの出費がかかる。計画があるからではなく、本当に要るのかを検証してムダはできる限り避けたい。②別の手段はないのか。仮に道路をつくっても「園路」を通しても、人の心が変わらなければ「入り込み」は無くならない。身勝手な行動を道路をつくることで回避するのではなく、地道な取り締まりも重ねながら、啓蒙や教育で人の心に働きかけるのが筋ではないか。

人のくらしと自然とどっちが大事か、という話もありました。どうも誤解があるように思います。私たちは「自然が好きだから」「楽しみたいから」だけで、「自然を大事に」と訴えているわけではありません。
名古屋市は前の松原市政のとき、「ゴミ処理場をつくることで環境破壊するのではなく、分別でゴミの量を減らす」市民生活の質と形の転換によって貴重な自然(=藤前干潟)を守った実績があります。市民のなかには「メンドウだ」「厄介な事になった」とぼやきながらも、自然のために自制する道を、全体でやり切りました。

地球規模で、自然破壊への対策が課題とされて久しくなります。たった今、国連では「気候サミット」で温暖化を防ぐための具体的行為の論議が進められています。しかしながら残念なことに、わが国の政権の無責任・無策が世界の先進から批判されています。
相生山の道路なんて関係ない、と思う向きもあるでしょう。現にそういう声も聞いてきました。

「自然を大事に」は、自然の中で、自然の恩恵によって生きている「人を大事に」することに他ならない、と私たちは考えます。人を大事にすることは、人以外のいのちも大事にする生き方を、人がすることからしか生まれてこない、と私たちは考えます。人(=自分たち)の利便性だけを追求することは、人(=自分たち自身)の生を失いかねないと思います。
自然を、たとえば台風や地震や火山噴火などの自然現象を、人が制御できるはずはありません。人は自然に身をゆだね、禍いから逃れるしか術を持ちません。意のままにできるなどと驕った結果は、昨今の「災害」が実証しています。

意見が違うようにみえても、市民の願いはつまるところ一致します。それは、自分や家族や人びとが誰も安全で安心に暮らしていきたい、ということだと思います。そのためには、自然環境をこれ以上壊さない、というのは世界の常識です。いくらかの例外はあるにしても、自己の利益だけを優先する傾向には歯止めがかかりつつあります。もし、そうではないとするなら、人は共に滅びるしかありません。
私たちは相生山でも、全世界の道理に添った名古屋市の行動を希求します。 参照:
こちら 市民の要求に従うだけが行政の役割ではありません。行政主導で市民に働きかけ、名古屋市の道理をうちたてることを待望しています。その一歩が相生山で実現していくとしたら、こんなにうれしいことはありません。
by アイ

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