「百年の計」という言葉があります。名古屋市の未来を、市は市民にどう提示するのでしょう。
「相生山緑地の道路建設に係る学術検証委員会」は、まとめの報告書
(2010年12月)で「政治、行政、地域住民などの当事者が高度で責任ある判断をされること」と結びました。全文は
こちら
「理由は、根本的には、ESDもありましたし、どっちかというと産業優先で道路をバカバカ造ってきた名古屋のまちに、自然を大事にしようという精神でいこうと。それが根本です」
(名古屋市ホームページ「平成26 年12 月26 日 市長年末記者会見」より)全文は
こちらくり返しになりますが、市長は、名古屋市は、なぜこの「道路廃止の理由」を「名古屋の未来の方向性」を市民に語りかけ理解を得ようとしないのでしょう。
当局は言います。「みなさんの認識・意見はいろいろですので、じっくりと時間をかけて・・・」果たしてそれで進みますか?
市民の合意形成を考えるなら、ここは人心の集中に向けての説得しかないと考えます。「玉虫色に見せかけた」人寄せ「公園開発」でお茶を濁そうとしてはいけません。腹をくくるときです。為政者も役人も。

道路建設が始まってからでも20年が経ちました。河村市長が「Stop&Think」を呼びかけてから10年。市の検討会議「素案」をめぐっての意見交換会は未だ2巡したばかりですが、市民の意見は既に出そろったかに見えます。
求められているのは、名古屋市の一歩=「道路計画廃止の理由説明」ではないですか。
名古屋市が実施した市民アンケートの結果でも、圧倒的な市民世論は「自然を大事に」「新たな開発を望まない」が圧倒的多数派です。市はどうして自信が持てないのでしょう。本来の手順から逃げて「何かをつくろうとする」のはなぜでしょう。

冒頭に紹介した通り、学術検証委員会は「当事者が高度で責任ある判断」を求めました。政治家には、人気取りや利権ではなく、行政には、その場限りや経験主義でなく、市民には「自分さえ良ければ」でない視野の広さが求められていると思います。
そして「責任」とは、この数年とか自分の目の黒いうちとかではなく、子々孫々も関わる「百年」を見通す見識が問われているのではないでしょうか。
世界の「AIOIYAMA」プロジェクト検討会議の真摯な議論を期待します。
by アイ

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