処暑に咲く
猛暑日が去ったら 戻ってきました
ハギ(萩)の花

姫さまの紅 マルバハギ(丸葉萩)

うす紫が優雅 ツクシハギ(筑紫萩)
咲き始めたのは 小暑のころ こちら
暑さの盛りの「夏休み」を越えて 復活です

相生山にも 秋がちゃんとやって来る ことしも
安心させてくれる 萩の花の紫

長く伸びた花序に 小粒な蕾がいっぱい
大昔から 私たちの優しさを呼び起こしてくれる 秋の花
by アイ

ハギ(萩)の花

姫さまの紅 マルバハギ(丸葉萩)

うす紫が優雅 ツクシハギ(筑紫萩)
咲き始めたのは 小暑のころ こちら
暑さの盛りの「夏休み」を越えて 復活です


相生山にも 秋がちゃんとやって来る ことしも
安心させてくれる 萩の花の紫

長く伸びた花序に 小粒な蕾がいっぱい
大昔から 私たちの優しさを呼び起こしてくれる 秋の花
by アイ


一番最初は?
「道路を緑地に」するために (下)
「百年の計」という言葉があります。名古屋市の未来を、市は市民にどう提示するのでしょう。
「相生山緑地の道路建設に係る学術検証委員会」は、まとめの報告書(2010年12月)で「政治、行政、地域住民などの当事者が高度で責任ある判断をされること」と結びました。全文はこちら

「理由は、根本的には、ESDもありましたし、どっちかというと産業優先で道路をバカバカ造ってきた名古屋のまちに、自然を大事にしようという精神でいこうと。それが根本です」(名古屋市ホームページ「平成26 年12 月26 日 市長年末記者会見」より)全文はこちら
くり返しになりますが、市長は、名古屋市は、なぜこの「道路廃止の理由」を「名古屋の未来の方向性」を市民に語りかけ理解を得ようとしないのでしょう。
当局は言います。「みなさんの認識・意見はいろいろですので、じっくりと時間をかけて・・・」果たしてそれで進みますか?
市民の合意形成を考えるなら、ここは人心の集中に向けての説得しかないと考えます。「玉虫色に見せかけた」人寄せ「公園開発」でお茶を濁そうとしてはいけません。腹をくくるときです。為政者も役人も。

道路建設が始まってからでも20年が経ちました。河村市長が「Stop&Think」を呼びかけてから10年。市の検討会議「素案」をめぐっての意見交換会は未だ2巡したばかりですが、市民の意見は既に出そろったかに見えます。
求められているのは、名古屋市の一歩=「道路計画廃止の理由説明」ではないですか。
名古屋市が実施した市民アンケートの結果でも、圧倒的な市民世論は「自然を大事に」「新たな開発を望まない」が圧倒的多数派です。市はどうして自信が持てないのでしょう。本来の手順から逃げて「何かをつくろうとする」のはなぜでしょう。

冒頭に紹介した通り、学術検証委員会は「当事者が高度で責任ある判断」を求めました。政治家には、人気取りや利権ではなく、行政には、その場限りや経験主義でなく、市民には「自分さえ良ければ」でない視野の広さが求められていると思います。
そして「責任」とは、この数年とか自分の目の黒いうちとかではなく、子々孫々も関わる「百年」を見通す見識が問われているのではないでしょうか。
世界の「AIOIYAMA」プロジェクト検討会議の真摯な議論を期待します。
by アイ

「相生山緑地の道路建設に係る学術検証委員会」は、まとめの報告書(2010年12月)で「政治、行政、地域住民などの当事者が高度で責任ある判断をされること」と結びました。全文はこちら

「理由は、根本的には、ESDもありましたし、どっちかというと産業優先で道路をバカバカ造ってきた名古屋のまちに、自然を大事にしようという精神でいこうと。それが根本です」(名古屋市ホームページ「平成26 年12 月26 日 市長年末記者会見」より)全文はこちら
くり返しになりますが、市長は、名古屋市は、なぜこの「道路廃止の理由」を「名古屋の未来の方向性」を市民に語りかけ理解を得ようとしないのでしょう。
当局は言います。「みなさんの認識・意見はいろいろですので、じっくりと時間をかけて・・・」果たしてそれで進みますか?
市民の合意形成を考えるなら、ここは人心の集中に向けての説得しかないと考えます。「玉虫色に見せかけた」人寄せ「公園開発」でお茶を濁そうとしてはいけません。腹をくくるときです。為政者も役人も。



道路建設が始まってからでも20年が経ちました。河村市長が「Stop&Think」を呼びかけてから10年。市の検討会議「素案」をめぐっての意見交換会は未だ2巡したばかりですが、市民の意見は既に出そろったかに見えます。
求められているのは、名古屋市の一歩=「道路計画廃止の理由説明」ではないですか。
名古屋市が実施した市民アンケートの結果でも、圧倒的な市民世論は「自然を大事に」「新たな開発を望まない」が圧倒的多数派です。市はどうして自信が持てないのでしょう。本来の手順から逃げて「何かをつくろうとする」のはなぜでしょう。


冒頭に紹介した通り、学術検証委員会は「当事者が高度で責任ある判断」を求めました。政治家には、人気取りや利権ではなく、行政には、その場限りや経験主義でなく、市民には「自分さえ良ければ」でない視野の広さが求められていると思います。
そして「責任」とは、この数年とか自分の目の黒いうちとかではなく、子々孫々も関わる「百年」を見通す見識が問われているのではないでしょうか。
世界の「AIOIYAMA」プロジェクト検討会議の真摯な議論を期待します。
by アイ


わづかながら秋
「道路を緑地に」するために (中)
前回からの続きです。8月5日に名古屋市市長に提出した「提案書」こちら も併せて読み進めていただきますように。
相生山をめぐって、市民の間に意見の相違があるとしたら、それは今でも「道路をつくらない」か「道路をつくるか」が一番大きいのです。このブログでも紹介しましたが(こちら)地元をはじめ相生山に関心を払っている多くの人びとの意見の根本は「建設」か「廃止」かです。
ですから、名古屋市の責任は「つくるとしていた道路をつくらないと変えた理由を、市民にはっきりと示して理解を得ること」に他ならないと思います。市民合意の出発点はここからのハズです。

ところが2014年の市長表明では「自然を大事にするため道路計画は廃止する」としたにもかかわらず、「つくりかけの道路は・・・・として活用する」とか、「緊急車両が通れる園路」によって緑地を横断するなどを付け加えました。方針変更の理由を説明することを避けて、別の「納得してもらえそうな提案」で収めようとしたのです。それが「世界からAIOIYAMAと言われるような公園」であり「(道路用地を通す)園路」でした。
この表明に忠実に、相生山緑地の整備案(=素案)が提示され、担当職員はその案に沿って「市民の合意形成」を図ろうとしているように見えます。「道路予定地を通す園路とは名を変えた道路ではないの?」という声には、あらたに「緑地の中心=ふれあいの丘」を設定して、東西の「園路」をそこで結ぼうという構想が生まれました。
自信を持って市民を説得するのではなく、その場を取り繕うだけであったり、必要以上に低姿勢に出たり、逆に高圧的であったり。行政への不信が深まります。
根本からボタンの掛け違いをしている、と言うよりは<ボタン穴のない所にボタンを通そうとしている>のですから、市民が納得できるわけがありません。納得できないのは「道路を通せ」派も「道路は要らない」派も一緒です。奇妙なことに、「名古屋市がきちんと説明できていない」という点では市民の合意が成立してしまっています。

相生山に限ったことではありません。行政が一度決まったことの間違いに気づいているはずなのに直そうとしないのは。「ごめんなさい」「改めます」と言えないのは。
愛知県東三河の設楽ダムでもそうです。長崎県の石木ダムでもそうだと思います。沖縄の辺野古もそうではありませんか。
一体いつからそうなったのか、この世の中は昔からそうだったのか。今や、この国では、誤ったことを正そうとせず、嘘を嘘で塗り固めるかの如くの例に事欠きません。
私たちは、せめて私たちの身近な相生山では、行政の姿勢を一緒になって正したいと願います。そんな町で暮らしていきたいと思います。
by Oak.

相生山をめぐって、市民の間に意見の相違があるとしたら、それは今でも「道路をつくらない」か「道路をつくるか」が一番大きいのです。このブログでも紹介しましたが(こちら)地元をはじめ相生山に関心を払っている多くの人びとの意見の根本は「建設」か「廃止」かです。
ですから、名古屋市の責任は「つくるとしていた道路をつくらないと変えた理由を、市民にはっきりと示して理解を得ること」に他ならないと思います。市民合意の出発点はここからのハズです。

ところが2014年の市長表明では「自然を大事にするため道路計画は廃止する」としたにもかかわらず、「つくりかけの道路は・・・・として活用する」とか、「緊急車両が通れる園路」によって緑地を横断するなどを付け加えました。方針変更の理由を説明することを避けて、別の「納得してもらえそうな提案」で収めようとしたのです。それが「世界からAIOIYAMAと言われるような公園」であり「(道路用地を通す)園路」でした。
この表明に忠実に、相生山緑地の整備案(=素案)が提示され、担当職員はその案に沿って「市民の合意形成」を図ろうとしているように見えます。「道路予定地を通す園路とは名を変えた道路ではないの?」という声には、あらたに「緑地の中心=ふれあいの丘」を設定して、東西の「園路」をそこで結ぼうという構想が生まれました。
自信を持って市民を説得するのではなく、その場を取り繕うだけであったり、必要以上に低姿勢に出たり、逆に高圧的であったり。行政への不信が深まります。
根本からボタンの掛け違いをしている、と言うよりは<ボタン穴のない所にボタンを通そうとしている>のですから、市民が納得できるわけがありません。納得できないのは「道路を通せ」派も「道路は要らない」派も一緒です。奇妙なことに、「名古屋市がきちんと説明できていない」という点では市民の合意が成立してしまっています。

相生山に限ったことではありません。行政が一度決まったことの間違いに気づいているはずなのに直そうとしないのは。「ごめんなさい」「改めます」と言えないのは。
愛知県東三河の設楽ダムでもそうです。長崎県の石木ダムでもそうだと思います。沖縄の辺野古もそうではありませんか。
一体いつからそうなったのか、この世の中は昔からそうだったのか。今や、この国では、誤ったことを正そうとせず、嘘を嘘で塗り固めるかの如くの例に事欠きません。
私たちは、せめて私たちの身近な相生山では、行政の姿勢を一緒になって正したいと願います。そんな町で暮らしていきたいと思います。
by Oak.


大風の後
一日吹き荒れた強い風 夜明けとともに夏空

この地域では大きな被害は無かったようですが 北日本が心配
相生山緑地の園路を あちこち歩いてみました

何か所かで コナラなどの幹が道に散らばっていました
昨年の台風で枝掛かりになっていた枯損木が 外れて落ちたようです
道をふさいでいたのは 少し除けておきましたが
頭上の変化は分かりかねるので 次の風や雨が心配です
広場のベンチ脇にも ちょっと大きめの枝が・・・夜のうちで良かったです

アベマキ坂では 完熟前のドングリが幾つも転がっていました
木陰から陽だまりへ
セミが 甲虫が ブンブン飛び回る

2~3日 ひそめていた身を 復活の朝でした
追記:11日(日)の「相生山の四季を歩く会*8月」のようす ホームページ更新されました こちら
by アイ



この地域では大きな被害は無かったようですが 北日本が心配
相生山緑地の園路を あちこち歩いてみました



何か所かで コナラなどの幹が道に散らばっていました
昨年の台風で枝掛かりになっていた枯損木が 外れて落ちたようです
道をふさいでいたのは 少し除けておきましたが
頭上の変化は分かりかねるので 次の風や雨が心配です
広場のベンチ脇にも ちょっと大きめの枝が・・・夜のうちで良かったです


アベマキ坂では 完熟前のドングリが幾つも転がっていました
木陰から陽だまりへ
セミが 甲虫が ブンブン飛び回る


2~3日 ひそめていた身を 復活の朝でした
追記:11日(日)の「相生山の四季を歩く会*8月」のようす ホームページ更新されました こちら
by アイ


line