なぜ 今『ふれあいの丘』?
これからは、12月16日に公表された「相生山緑地 基本計画の素案」で「相生山緑地の拠点となる場所」と位置付けられた『ふれあいの丘』が、新たな焦点になるのではないかと。

「相生山の道路」の経過をおおまかに見れば、1957年/都市計画決定→2004年/市民の意見を反映させて計画変更・認可・着手→2009年/工事中止→2014年/河村市長が「計画廃止」を表明→世界のAIOIYAMAプロジェクト検討会議(以後略「会議」)を経て→2018.12素案公表、現在に至る・・・・ということになります。(2010年/学術検証委員会資料に一部追記)

4年前、市長は文書で「道路事業は廃止」「道路部分を含めて都市公園及び緑地として・・・」「建設済みの道路部分は・・・公園施設として活用する」「ただし、都市公園の管理のため・・・・園路を設けて下山畑口から相生口までつなげ・・・緊急車両は通行できるようにする」と発表し、記者との質疑応答の中では「(計画廃止の理由は)自然を大事にしようという精神でいこうと。それが根本です」と明確に述べました。 こちら参照

翌年からこれまでに12回開かれた「会議」では、市長の表明に沿って「道路廃止」と「公園計画」がセットですすめられてきました。そのなかで一番の焦点は「自然を大事にするため道路計画は廃止するが、公園施設の園路としてつなぐ」ことによって、やはり自然破壊してしまう矛盾点をどう「解決」するのか、であったと思っています。 こちら参照
2017年11月の第10回「会議」では、まさに建設済み「道路」部分と未着工道路用地をつなげる「園路」案が示されていました。

ところが、2018年2月の「会議」以降、異例の9か月の中断期間を経て示された案では、以前の「農業体験ゾーン」に替わって、新たに『ふれあいの丘』が登場しました。そして、「園路」はそこへのアクセス(道路)と位置付けられています。市民向け説明会では、このことに多くの疑問が発せられ、当局の返答は極めて歯切れの悪いものでした。

『ふれあいの丘』とは何のための場所か?
公園だからと言って、何らかの施設が必要というものではないと学びました。
地元から「相生山にたくさんの人が集まって来るような工夫をして欲しい」などという声が聞こえたことは、未だにありません。
相生山に最も親しんでいる人びと、あるいは一昨年の市民アンケートでも「自然観察」「散策」の場であることを望む声が圧倒的です。
なのに、なぜ『ふれあいの丘』が提案される必要があったのか?
大胆な仮説を立てます。
それは「下山畑口から相生口をつなぎ、緊急車両を通すための道をここで連結させるための場所」を必要としたからではないのか。貴重な樹林地を一本の道で南北に分断することへの非難、を避けるために。

相生山の道路は都市計画決定されながらも、広範な名古屋市民の「自然を大事に!」の声によって工事中止、計画廃止までの判断をせざるを得なくなりました。けれども、「市民生活のために」決められた計画を白紙撤回とするには躊躇がある、市民の意見にも相違が残っている、この状況での「妥協案」ではありませんか?

長期を見据えた「政治的判断」に自信があるなら、異なった意見の持ち主を誠実に説得すべきです。その場限りの「乗り切り策」は、やがて暴露され禍根を残します。問題をそのまま塗り込めれば、大きな崩壊が待っています。
市長判断、「会議」での検討、たずさわる専門家である市職員の実務の積み重ね、そして市民の税金や期待がムダにならないように。
私たちは、ここはしっかりと見極めたいと思っています。

自然を大事にすることは、人自身を大事にすること。自然は多様性であり、連鎖であり、悠久の歴史でもあります。
すべての名古屋市民が「自然を大事にする」ことの重みを認識できますように。「自然を大事にする」市政の恩恵を受けられますように。
相生山緑地についての「意見交換会」壮大な舞台の幕が、もうすぐ上がろうとしています。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
恐縮ですが、更にこちらとこちらの記事も、ご一読お願いします。
by アイ+Oak.
