年の始めに(一)
「自然保護」とか「環境保全」について、考えていることがあります。
それは世界の大勢のようであり、これに「意義あり」と唱えるには、たいてい躊躇するでしょう。にもかかわらず、一つ一つの局面では「人のいのちと自然とどっちが大事か?」とか「生活を豊かにするためには、環境へのある程度のシワ寄せは止むを得ない」などと語られたりしています。
こうした、自然と人を対立させることに違和感を覚えます。なぜなら、人は自然から発生し、自然の一部分として、自然からいただいて、自然の中で生存していると思うからです。
忘れそうになりますが、『自然は人の意のままにはならない』のです。人間の希望通りにはいかないのが自然現象、自然の事物、小さないのちであっても、ではないでしょうか。
ですから、自然の一部分でしかない人間が「自然を保護し」たり、「自然にとっていいことが出来る」と考えるたりすること自体がごう慢だと思います。もし、自分たちの思うように自然がコントロールできたと判断するのでしたら、それはたまたまのことで、たいへん幸運だったということにすぎないでしょう。あるいは部分的・短期的に見ただけで、全体的・長期的に把握できていないからでしょう。
わたしたちに出来ることは、人間が生きていくためのすべての活動が、きっと自然に影響することを自覚して、その作用が少なく小さいものにとどまるように最大限の配慮をすることしかないと思います。たとえば、道路や住居・設備や営利目的などの「開発」について、それがどうしても必要なのか、臆病で慎重でなければならないでしょう。
でないと、人はその生存基盤そのものを崩壊させてしまうからです。
相生山緑地での「自然のための」諸活動について見直しをかける、重要な時期であると考えています。60年前の都市計画道路を廃止することが決まり、「自然を大切に」して「世界に誇る緑地公園」への構想検討がすすめられているからです。
これまでも何度か、私たちの疑問や意見を書いてきました。名古屋市に提案したこともあります。
新しい年の始まりに当たって、相生山緑地とのつき合い方について、いくつかまとめてみたいと思います。さまざまな面から角度からの、ご意見をお願いいたします。
by アイ+Oak.
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