「森の手入れ」を考える(5)

 前回「昔のように、コナラ-アベマキ林を管理しなければならない」という主張について、歴史的事実に照らして、その真偽を考察しました。
 既述のとおり、中世以降、広く二次林が存在していたとは思えませんが、日本列島の中で、コナラやアベマキ・クヌギ、ミズナラやカシワなどの二次林が存在していたことは間違いないと思います。

 その場所は森から薪や炭を過度に消費地に供給する必要がない、言い換えれば他の産業でその地域が自立できていたところ、余裕を持って計画的に二次林の伐採や萌芽更新が行われていたところです。
 他の産業での経済的自立ができないところでは、商品として薪炭や用材を出荷するため森の樹木を伐り尽くし、松の疎林地帯になっていったのでしょう。

      緑地南部 野並相生/緑地南部
 
 次の検討に移りましょう。

 森と生き物 かく乱依存種について

 「森の手入れ」は、生き物の絶滅危機の対策として主張されているようです。

【主張2 : コナラ-アベマキの二次林の手入れをしないと、多くの生き物の生育・生息場所がなくなる】
      
 コナラ-アベマキなどの二次林の存在場所は、消費地から遠くへ移動していった可能性があります。つまり薪炭・用材を消費地に搬出して松の疎林になれば、さらに奥山へと移動をしてゆくというものです。その最先端は、しばらくはコナラ-アベマキやミズナラが優占する森となっていたのでしょう。
 そのように、広く一般的ではなくとも存在していた里山のコナラ-アベマキの二次林を、かく乱依存種の保護の意味合いを含んで「里山モデル林」と呼ぶことにします。

 「里山モデル林」では、一部のかく乱依存種が生息・生育できることはわかりますが、考えなくてはいけないことがあります。
 現在の都市の中で、孤立した樹林地においても、同じようにうまく機能するのか。生物によっては、生息・生育できる場所が広範に複数準備されていてこそ、絶滅リスクが低くなるからです。
     海老山より 緑地北部/海老山地区より 

 ところで、森林のうち極相と言われる「照葉樹の森」は、戦前までどれぐらい残っていたのでしょう。
 暖かい地方では、伐採後、落葉広葉樹ではなく常緑広葉樹が育ってきたところもあるかもしれませんので、多少は残っていたでしょう。よく神社などが照葉樹を残してきたと言われますが、神社でさえ用材確保のため伐採され、マツが生えていたり落葉広葉樹だったりした時代がかなりあったようです。ただ伐採の圧力は他よりは軽く、場所によっては照葉樹も残っていたと思われます。

 戦前までの状況は、余り利用されなかった奥山を除いては、多少の「里山モデル林」とほんの少しの「照葉樹林」が残っていた。そしてほとんどは、特に都市近郊では松の疎林であったということを理解しておく必要があります。

 次回では、そのような森と生き物をめぐる環境について、もう少し詳しく見ることにしましょう。

かく乱依存種とは:氾濫原や崩壊地などの自然現象、農耕地などの人為的影響でそれまでの環境が大きく変化することによって生育条件を広げる動植物。イネ科ツツジ科ウルシ科などの先駆植物や湿地の植物。またそれらを餌とする動物。

        by  てんてこマイマイ
        画像は文とは直接関係ありません。秋を迎えた相生山緑地、最近の様子です。

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