オアシスの森の再生プロジェクトについて(6)

古代からの相生山の森のようすを 推察してみます

千種区・天白区・名東区などは 猿投古窯群の中心地です。
 焼き物製造地としては 粘土・水・燃料・運搬の便などが 
 そろっていることが有利になります。

 弥生時代より 焼き物は東海地方から近畿方面へ 
 運ばれていたか 影響を与えています。
 7世紀ごろから 焼き物が行われていたようで
 鎌倉時代には 多くの焼き物が作られ 
 この天白から 近畿方面へ運ばれています。

 あゆち潟の海岸線は 今より内陸まで入り込んでおり 
 野並・島田・植田・日進方面は 海上輸送に有利な場所であったことに加え
 粘土・水・燃料も その場で調達をすることが出来ました。

この燃料として 森が伐採され使われたと思われます。
当時の森の様子は 花粉分析によって ある程度推察することが出来ます。

古代から中世にかけて 森の利用が高まると おそらく照葉樹であった森は
コナラ―アベマキ コナラ―アベマキ―マツと変遷したのでしょう。
 参照文献:遺跡からのメッセージ~発掘調査が語る愛知の歴史
     加藤安信(編) 中日新聞社 発行

その後は 江戸時代の絵などを見れば 
マツ(疎林)が中心で 萩・ススキなどが生える
はげ山に近い森のような印象を受けますから
戦後間もないオアシスの森と あまり変わらない様子が想像されます。
 参照文献:「尾張名所図解」のうち「中根村」(瑞穂区)
     名古屋都市センター広報誌「ニュースレター」
     特別企画「なごやのまち今昔」より


推察をまとめると 
相生山緑地の植生のおおまかな変遷は 
 古代:照葉樹?からコナラ―アベマキへ(焼き物の燃料)
 中世:コナラ―アベマキ
 中世~近世:コナラ―アベマキからマツへ
 近世~燃料革命:マツ(疎林と低木)
 燃料革命後:一時的にマツが優占
 以後:コナラーアベマキ
このようであったと思われます。
 
今 オアシスの森に どの時代の森を「復元」させるというのでしょう。
伐採後2IMG_8446 (800x600)
    「マツ林再生のために」 現在進められている「手入れ」


事実誤認を改めて プロジェクトを再点検することが必要です
 
 これまで 現地の看板に書かれていることの 反証をいたしました。
 科学的事実に基づかない主張は えてして
 別の 欲目的のためにされる のが常です。

 何らかの 理由で
 アカマツ林を作りたいのであれば 
 その意義を まず議論していくことが必要です。

 もちろんその際には 専門家や市民の
 豊かな見識や 広い意見を聞くことも 求められます。

 その過程があって初めての 「プロジェクト」ではないでしょうか。
 名古屋市緑政局・天白土木事務所など
 相生山緑地に関わるみなさんの 再点検を求めたく思います。

        by  てんてこマイマイ

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theme : 名古屋・愛知
genre : 地域情報

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