森の手入れ

 3/29Ryouさんの記事から 考えてました

 相生山でも どこでも
 木を切ったり 草を刈ったり ・・・ときには植えたり
 一生けん命 「手入れ」 してる人たち
 年配のオジサンが多いんだよね

 「自然は人が手を入れないとダメになってしまう」
 「生物多様性のために 里山再生のために ・・・」

 正しいことしてる!って確信持ってるみたいだけど
 小さい子たちは 言ってるよ
 「切られちゃった木 死んじゃうの? かわいそう」
 
 オジサンたちは 自分達が自然を守るために
 必要なことしてる と思ってるらしいけど
 実は オジサンたちの好みの「自然」 造ろうとしてるだけ

 だって 自然のまま と 手入れ は反対語!!

 時間がたっぷりあって 
 人生たくさん生きてきて 
 自分の好みが 固まってるオジサンたち
 
 小さなこどもたちには
 今 自分が見てる 目の前の事物が
 少しあと ずいぶん後 自分がオジサンになった時に
 どんなに変わっていくものかを 
 自分の目で確かめてもらうことも
 大事だよ
 それは 自然って どういうものか
 確かめることでしょ

 いろんな人が 自分の思いで
 自然にかかわろうとしていることは
 良いことでもあると思うけど

 自分の考えてることが
 ホントに正しいことなのか
 自分の好みにすぎないのか
 
 も一度 柔らかい頭で 考えてみてください

 好みですることが 悪いというわけでなくて
 好みなら 他人の好みと比べながら
 どっちを取るのか 相談しなくっちゃね

ガマズミロード
 森の妖精たちが ガマズミロードと名付けた
 コバノガマズミが花咲く 森のこみち

 数十年前の農作地が 放棄され
 コナラが育ち 森になり
 カシノナガキクイムシで 枯れてできたギャップに
 今はガマズミ類が 育っています
 でもそのうち 常緑の 日陰でも育つ種が多くなってくるでしょう
 これは自然の遷移です
 人の力では 止めることなんて できません

       by  ai & Oak.

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theme : 名古屋・愛知
genre : 地域情報

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記事 「森をつくる」に ご意見ありがとうございます

白鴉さま
ayuchigataさま
chie*coさま
みなさま

  たくさんのコメントありがとうございます
  少し相生山を離れており 失礼いたしました

  2/12「森をつくる??」http://aioiyama.blog.fc2.com/blog-entry-247.html 
  記事へのコメントと合わせ 私たちも大いに学ぶことが出来ました

  もう少し時間を頂いて ブログ記事としてまとめたり
  さらに 名古屋市への意見提案に結び付けたりしたいと思っています

  これからも よろしくお願いいたします    

No title

深いですね・・

最近・・
人が入らないで・・あるがままに営まれていくのが自然・・
それが本来の姿・・
人が介入すると・・人の価値観で人のエゴのために変化させてしまう・・
そんな風に感じ始めています・・
もともと素晴らしい仕組みで出来上がっている地球のなかで・・
できればここに存在する仲間たち全部と共存共栄したい・・
ちょっと見方を変えれば・・できる。。
そう思えるようになりました・・=*^-^*=

今日も・・素晴らしい1日になりますように・・
そして・・明日も・・ ず~っと ず~っと・・=*^-^*=~thanks!!

Re 手入れ

こんにちは、

自然とか、森の手入れ(管理)については、言葉の定義をきちんとしたいですね。豊かな自然についても何が豊かであるか、など定義しないと話は堂々巡りになってしまいそうですから。

自然とか言わずに、「人類(あるいは地域住民)にとって有益な生態系を保つためには」、とぐらいに考えるといいのかもしれません。

そうすると、森などの、立地、そこに残した理由などにより、手入れや管理の方法(しない場合も含めて)がそれぞれ異なってきます。
もちろん、そこに残された森などの状態もすべて異なるので、手入れ。管理もそれによっても異なりますが。

上記の理由で、相生山には、相生山のやりかたがあると思いますが、それを書くとながくなるので、今回は控えます。

ところで、1990年代からの議論から見えてくることは、それぞれが違う立場で、違う観点から、勝手に主張をしているみたい。

特に利権団体、企業、行政などが絡むと、何が何だかわからない、或は、明らかに間違った見識と主張が出てきますね。
それに基づいて実際管理をしますから、変なことになっていますね。

別の自然の視点では、ありとあらゆる命の尊厳にたいして、哲学、宗教に近いものまで含めて考えることとも必要でしょう。その場合は、人類は自然の中にある命の一部分としてしか考えるとします。そうすると、本来の自然の意味がより真実に迫ってくると思います。

No title

私は、人間も自然の一部であり、勝手に人間自身が自然と人間と分けてしまっていることが一番の問題であると考えています。

私のブログに以前書きましたが、人が森を育て森が人を育てたというのは、人が生きるためには人に適した森が必要だった、そのためには原生林を切り開き、今の里山を作らなければならなかったということです。それを否定することはできません。否定するなら私は生まれていないかもしれません、下手したら人間は絶滅していたでしょう。

生きる以上、自然にあるものを使わなければならない。そして、人間が使うことによって自然はその形を変える。でもそれはどの生き物が暮らしていてもそうなります。それこそ森の移り変わりと同じです。その段階でついていけれなかったものは淘汰され、ついていけれたものが生き残る。人間も昔はその流れに沿って生活していました。

ですが今は人間は人間だという傲慢な解釈だけで自然(本来ある営み)から外れ好き勝手やっているのが現状です。
人間は特別な存在でも、神が作ったものでもありません、自然の中の一部、ちっぽけな存在でしかないです。人間がその本来からある営みに逆らった結果絶滅しても、表現は悪いですが自業自得でしかありません。

相生山の森を守ろうとしているのも、人間が勝手に生態系から、自然から外れているという誤った解釈を正したいという意図があるのです。

そこで森と人が共存するにはどうしたらいいかということをテーマにこれからの人と自然のあり方を見直すよいきっかけになればと思っています。

私にとっては世界の相生山など通過点でしかありません。

自然と人間の垣根がなくなるその時まで。

コメントをくださった 皆さまへ

みなさま

 ふところ深く 鋭く見識ある ご意見をありがとうございます

 この間(3月始め頃~)の非公開コメントでも ご意見があります
 相互の認識を深め 共通の見解を持てればいいなと
 一部の方には コメントの公開を お願いしているところです

 相生山の道路建設に何故 同意できないのか
 道路を廃止して どのようにすべきなのか
 私たちは どんな未来を描こうとするのか

 そこまですすむ課題であると考え 問題提起し続けるつもりです
 いわば このブログの背骨の一部だと思っています
 これからも よろしくお願いいたします 
 

難しい課題ですが・・・。

木を伐る、伐られることには抵抗感が残る私ですが、
長いスパンで森の移り変わりを見切れないので何とも言えないところもあります。
自分の住む市にある葦毛湿原で現在自然のことをよく知った上で方針を立てた湿地の植生回復作業が行われています。
確かに、森林化して勢いが衰えつつあった植物が勢いを取り戻す様子を見ている一方で、パイオニア植物のアカメガシワが一斉に出たりと一筋縄ではいかなさそうな所も見受けられたりします。
どこまで行い、行わないべきかの見極めも要るのだと思います。
また、「自然により近い遷移途中の状態を目指す」管理と「自分好み」の管理?にはまた違いがあるような感じもしています。
この課題、議論も相ですが検証が進むと良いなと思っています。

No title

こんにちは。
人の好みによって切る木、残す木が選ばれていること、私の近くの散歩道でも見られ、何か気になってました。
残されているのは、コバノミツバツツジ。切られているのはヒサカキ、カクレミノ、ネズミモチなどの常緑樹です。

コバノミツバツツジは太陽の光をいっぱい必要とする種類。可愛くて明るさを感じます。私も春を感じて好きです。でもやがては常緑樹にその場を明け渡していく性質の木ですよね。
ヒサカキ、ナズミモチなどは常緑で明るさはありませんが、実をつけ小鳥の餌になってくれますよね。
日常生活に里山の木々を利用しなくなった現在、自然の遷移に任せ、どんな風に移り変わっていくのかなということを楽しむ自然とのかかわり方もあるのでは、と、思っています。

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追伸です。

 大きな公園で過剰に草取りや落ち葉掃除をしている団体を見掛ける事が多くなりました。確かにご年配の方が多いですね。彼等は過剰に草を取り、落ち葉を掃いてビニールのゴミ袋に入れてゴミに出します。とんでもない行為だと思います。

雑草はある程度生やしておいた方がいいですし、枯れ葉もその公園内で土に戻さなければ、土地が痩せてしまいます。『愚かな善意』だと思います。

雑草が生えてたり、落ち葉が散らばっているのを、「良くない」と言う発想が現代の病だと思います。砂漠のように何も生えていない地面のほうがよっぽど殺伐として良くないと思います。

以前、幼稚園の奉仕清掃作業で、同じ事をしていたので、園長先生に
「草や葉をゴミ袋に入れて出してはいけない」旨伝えたら「ではどうすればいいのか」尋ねて来たので、「穴を掘って埋めるか木の周りに撒くべき」と言ったらそうしてくれました。・・・そう言えば町内会の公園清掃でもそう言って、今ではみんなそうしています。

少し主題とは違った内容ですが、関連事項としてコメントさせて頂きました。

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里山の手入れ

>「自然は人が手を入れないとダメになってしまう」

確かにこの言葉は、里山再生の為に必要な事、そうしないと里山が荒れてしまう・・・とまことしやかに言われていますが、本当にそうでしょうか?
 原生林は、手入れ無しで里山以上に素晴らしい自然を保っています。

 「里山を手入れしながら使う」と言うのは、人が木を利用する為に
「止むを得ず仕方が無いこと」であって、森に必要な事ではないでしょう。
 「人間が面倒みないと、手入れしないと、自然は駄目になってしまう」
と言う発想は、人間の奢りであるし、人間中心の愚かな発想だと思います。

あくまで、人間が森林を効率よく(再生が早く進むように)使わせて頂く為に「里山を手入れする」と考えるべきです。まあ人間が利用する為に手入れをされた集落の近くの森林を「里山」と呼ぶのでしょうけれど・・・。
この記事に対しては反論が多々ありそうですが、当方は 森の妖精 Oak.さん達と同じ見解です。

+  +++    +++++      +++++++      +++++    +++  +

初のコメントです。宜しくお願いします。
ココを訪問して、記事にコメントしようと思ったら丁度、この記事が最新記事で嬉しく思いました。

No title

こんにちは。(^-^)

自然は、やはり自然のままに・・・それが一番ですね!(*^。^*)

もっとも、人間は、いろいろと手を入れて作られているようですけど・・・それはそれで、また自然的な愛の創造活動のようです。(^_^;)

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森の妖精  アイ

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名古屋の相生山(あいおいやま)緑地 大都会に残された貴重な森のことをたくさんの方に知っていただくため情報発信していきます
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